管理人Gakkiの回想録(中学校~高校)②

前回の続きです。

1.中学校時代~とにかく目立たないように生きる~

小学校を卒業した私は、地元の中学校に進学しました。
しかし、同級生は皆エスカレーター式に同じ中学に進学するので、人間関係はそのまま引き継ぎでした。
かつて私をいじめていたグループも、グループのリーダーであるTも同じ中学の、同じクラスでした。

中学に進学する時に、何よりも自分自身に戒めたのが「目立たないこと」「空気を読むこと」でした。

私は昔から周囲の人たちに「変わり者」とか「天然キャラ」といわれていました。
アニメやゲーム、映画や本といったサブカル文化が大好きで、自分でも漫画やイラスト、小説などを描いたりしていました。
なので、確かに考え方や感じ方が人とちょっと違うなあ、と自分でも感じていました。
しかし、その「違い」が原因で、いじめを受けるとは思いもよりませんでした。

人と違ってるのは悪いこと。
自分が本当に思っていることを言ってはならないし、やってもならない。
周りの和を乱さず、何かやるときは右を見て、左を見て、はみ出さないようにする事…。
自分にとっては、これが学生生活を送る上での最優先課題であり、処世術になりました。

中学に入って以後、私は本音を言わず、空気ばかり読む性格にますます拍車がかかっていきました。
今から思えば全ては「いじめ」から身を守るためだったのですが、こういった振る舞いが壁を感じさせ、逆に人を遠ざけているとは夢にも思いませんでした。

・必死で空気を読む。自分の本音を殺す。

さらに、私の通っていた中学校は、小学校の時よりさらにスクールカーストが激しく、いじめが横行しているような陰湿な環境でした。

「オタク」とか「暗い性格」とか「変わり者」といった特性を持つものはバカにされ、見下されるような空気がありました。
だから、とにかく私はそれらを隠して、クラスの中でも権力を持ってそうな人間(スクールカーストが上位の人間)の機嫌をとり、彼らに好かれるようなキャラを演じるのに必死でした。

話題についていくために好きでもない流行の音楽を聴いてみたり、文化系の部活が好きなのに運動部に入ってみたり、必死でファッションを研究してみたり…。

「人にどう思われるか?」ということを余りにも気にしすぎて、思っていることや、やりたいことを抑圧しているうちに、どんどん「自分の本当の感情」というものが分からなくなっていきました。

それらは全て「嫌われたくない」「バカにされたくない」「見下されたくない」という、劣等感と対人不信から出た行動でした。
そして何より、「もういじめは絶対受けたくない」「仲間外れにされたくない」という恐れが根底にありました。

中学時代の私は、いつもそんなことを考えていたと思います。

http://exodus21.xyz/2016/12/21/post-192/

2.高校時代~友達ができない~

高校に入学して、一番辛かったことは「友達ができない」ということでした。

私の入学した高校は、去年まで女子校だったのを共学に改編したばかりの学校で、男子の数が極端に少なかったのです。
自分に合った偏差値だったのと、デザインの教科を取れるのに魅力を感じて入学したのですが、「これは失敗したな…」と思いました。
男女の比率が2:8ぐらいの割合なので、男はいつも隅の方で小さくなっていなければなりませんでした。

高校に入ると、ますます本音を言わず、人の顔色を伺う性格が強くなった私は、このような環境もあって全然友達が出来ませんでした。
休憩時間はいつも机に突っ伏して寝ているか、図書室に行って本を読みに行くなどしていました。
今で言う「ぼっち」というやつでしょうか。

当時の私は「友達がいない」ということをものすごく恥じていました。
休憩時間に雑談したり、お昼に気軽にご飯を食べに行くような友達がいないことに惨めさとコンプレックスを感じていましたし、そのような姿を人に見られるのを極度に恐れていました。
「あいつは友達もできない惨めな奴なんだ」と人から思われやしないかと、気が気ではありませんでした。

「とにかく友達を作らなければならない」という思いばかりが空回りして、気の合うわけでもない同級生とつるんでいたりもしましたが、「楽しいから一緒にいる」というような関係ではないため、いつも空虚感がありました。

当時の私にとって友達とは「確保」するものでした。
今振り返れば、相手にはなはだ失礼な考え方ですが、焦燥感に囚われた私は、とにかく外面だけでも取り繕うに必死でした。
そのような、人を道具としてしか見てないような態度で、中身のある関係が築けるわけがありません。

「普通の、何の問題もない人間にみられなけばならない」という強迫観念が強すぎて、かえって自分をがんじがらめにしていきました。

部活もしていましたが、いつも悩んでいたため全く身が入らず、はなはだ不真面目な活動ぶりでした。

また、女性が多すぎる環境にいたため、女性の目が気になりすぎて緊張し、いつも気疲れしていました。
そんな中、唯一、絵だけは画塾に行って描き続けていたので、当時の私にとって絵を描くことだけが救いだったのです。

・孤独と寂しさで精神を病む

とにかく孤独でした。
自意識過剰なのですが、「人からどう思われるか」ということが気になって気になってしょうがない。
緊張と不安で、夜も眠れない。とにかく人が怖い。どこにも身の置き場がない。
ずーっと同じ事でグルグル悩んでいるのですが、やめたくてもやめられないのです。
思春期の頃は、程度の差こそあれ人の目が気になるものですが、私の場合はそれが病的な域にまで達していました。

「学校にうまくなじめない」「友達が出来ない」「女性とうまく接することが出来ない」ということで死ぬほど悩んでいるのに、親にも、先生にも、幼馴染みの友達にも、誰にも相談できませんでした。
そんなことで悩んでいることが知られたら、間違いなく軽蔑されてしまうと思いこんでいました。

たまに勇気を出して相談しても「考えすぎだよ」「気分転換でもしたら気にならなくなるよ」などという、見当外れのアドバイスをされ、ますます心を閉ざすようになりました。

本当は孤独で寂しくてしかたがないのに、平気な振りをしていました。
今思えば、この「どう思われるか気になって人に相談できない」「相談なんかしてもムダだと思っている」という私の性格上の欠点が、ますます自分を追い込んでいく要因になっていったのだと分かります。

そのうち、「いつも誰かに見られているような気がする」「笑われているような気がする」という強迫観念(視線恐怖)に取り憑かれるようになり、バスや電車に乗るのも苦労するようになりました。
緊張と不安で、人の多いところに行くとパニックになりそうでした。

最終的に、日常生活が辛くてどうにもならなくなり、16歳の時に心療内科の門を叩きました。
どうすればいいのか分からなかったし、藁にもすがる思いでした。とにかくこの辛い状況から救って欲しかったのです。

そこで下された診断は社会不安障害。
医者からは抗不安薬のレキソタンを処方されました。

はじめての抗不安薬は、私に合いました。
飲むと多少頭がボンヤリしますが、あのパニックになりそうな辛い日常よりはマシでした。
「こんな便利なものがあったのか」と感動しました。
飲み始めてすぐ、私は抗不安薬を手放せなくなりました。

そもそも、抗不安薬を飲み出す前から、私は緊張と不安を和らげるために学校のトイレでこっそりウィスキーを隠れて飲んでいたりしました。
酒で頭を鈍らせてないと、不安と緊張でおかしくなりそうでした。
しかし、酒は匂いますし、もともと酒に強い体質でもないですし、なにより未成年です。
私にとって、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬はぴったりと自分のニーズに応えてくれるものだったのです。

「抗不安薬」という強い味方を得た私は、薬を飲みながらなんとか高校生活を凌いでいました。
これが恐ろしい処方薬依存症の始まりになるとは気付かずに……。

次回へ続く「管理人Gakkiの回想録(大学時代・前編)③」

前回へ戻る「管理人Gakkiの回想録(幼少期~小学校)①」

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