嫌いな奴、ムカつく奴は自分の映し鏡か?


今日も仕事帰りにミーティングに行ってきて、休憩時間には仲間と雑談していたわけだが、そこで気になるトピックがあったのでここにアウトプットしておこうと思う。

その時、仲間と分かち合ったのは「ルールやマナー、礼儀を守ってない奴が許せない」という内容だった。

特にアダルトチルドレンは強迫的な完璧主義だったり、人に対しても状況に対しても「~でなければならない」「~であらねばならない」という思いが強すぎて、自分の考えを他人に押しつけてしまったり、状況をコントロールしようとする傾向があるが、これもその一端であろう。

そもそも、なぜ「ルールやマナー、礼儀を守ってない奴が許せない」のだろう?その怒りの裏には、どのような心理が隠れているのだろう?

1.「挨拶しない奴」が許せない!

例えば私で言えば、ちょっと前まで「挨拶しない奴」とか「元気がなくてボソボソ話す奴」とか「目を見て話さない奴」が許せなかったことを白状しておく(苦笑)

仕事場などは、色んな人が集まるから、もちろんそういう人もいて当然なのだが、仕事のミスが多いとか動きが遅いとかはそんなに気にならないんだが(要するに業務 上の効率に関わる部分は)、挨拶を無視されたり、いい加減に返されたりしたら、顔には出さなくても心の中では異様に反応してイラついていた。「社会人にもなって、挨拶の一つもまともにで きないなんてありえないだろ!」という風に思っていた。

元気がなくていつも下を向いてるような同僚や後輩に対しては、「なに職場に来てまで自分の素を出してんの?プロなんだからもっとシャキッとしろ!」と思ってたし、目を見て話さない奴も「失礼な奴だな」と思ってた。

だからといって「こうするべきだろ」「ああするべきだろ」と直接口に出して注意するほどではなかったが、「こんなことでイラつくなんて、自分はなんて器の小さい人間なんだ」と「イラついてる・怒っている自分自身」を否認したりもして、非常に疲れる毎日を送っていた。

どれにも共通してるのは、「これぐらい、出来るのが常識だろう!」「社会人として当たり前だろ!」という考えだ。

そして、そういう感じ方、考え方は、例えどのような理由であっても怒りとストレスに繋がる。

決して、「自分が傷ついたから」とか「自分が腹が立つから」というロジックではなく、あくまで「社会」や「常識」をバックボーンにして相手を裁いていた。そうした方が、狭量な自分をに直面することなく、おおっぴらに自分の怒りを正当化できるからだ。

2.本当は傷ついて怖れている自分を認めたくない

冷静に考えてみれば、世の中にはいろんな人がいるし、いろんな状況があるわけである。

例えば挨拶を無視されたとして、その人はたまたま疲れていただけなのかもしれないし、気づいてなかった、あるいはプライベートで機嫌が悪くなることがあったのかもしれない。または挨拶なんかは適当にしておけばいいという価値観の人なのかもしれないし、それこそ理由は千差万別だ。

ミーティングに通い続けて、「人がどう思い、どう行動するかは私には変えられないし、コントロールもできない」事を教えてもらったが、本当にその通りだと思う。

例え、挨拶を無視されたのが「自分を見下してたり嫌ったりしていて挨拶しない」という理由でも、それは相手の感じ方の問題であって、私の問題ではない。

昔は、このあたりの境界線があいまいで、人に嫌われたりしたらとにかく何とかしなければいけない!、という強迫観念が強かったのだが、「自分にも人を嫌う心があるし、どう感じるかは本人の自由だよな」と思えたとき、他人から無視されたり軽く扱われても以前ほど気にならなくなった自分がいた。

自分自身が、いろんな感情を抑圧していて、特に「人を嫌う感情」に蓋をしていたものだから、人から嫌われることに特に過敏に反応していたのかもしれない。

3.自分が我慢してやっている度合いが強いほど他人に強要したくなる

そう考えれば、先に挙げた「挨拶を無視する奴」「元気がない奴」「目を見て話さない奴」になんでイラついていたのか説明がつく。

結局、自分が嫌っている人間というのは、自分の中の一番見たくない部分、または自分が我慢して抑圧している部分を体現している人、という事が多い。

本当は私だって、しんどい時は挨拶も億劫だったりするし、もともと元気がない鬱な人間だけど感じ良く振る舞っているに過ぎないし、対人恐怖症なので人の目なんか見て話したくない。
「俺がやりたくもない事を頑張ってやってるのに、なんでお前は適当にやっていて周りに受け入れられてるんだ!」という怒りが根底にあったのだ。

他にも、私は依存的な人間が嫌いだったりするし、完璧主義だったり、コントロール欲求が強すぎたり、性にだらしない人間が嫌いだったりする。これらは全部自分も持っていて、しかも自分で嫌悪している部分なのだ(笑)

4.自分の嫌いな部分を受け入れれば他人も許せるようになる

よく「他人を責めてばかりいないで、許さないといけない」という台詞を聞くが、これは実はまず自分自身の嫌な部分を受け入れていないと無理な話なのである。

考えてもみて欲しい。「挨拶をしたくない自分」「元気のない自分」を嫌っておきながら、他人が同じような欠点を持っているのを「しょうがないよね」と許せるわけがない。「寛容であるかのようなポーズ」はとれても、まず自分が自分を許せてないと、無意識レベルで相手に対する批判の心や怒りは溜まっていくだろう。

では、どうすれば自分の嫌な部分を受け入れることができるようになるか?、というと、あくまで私の場合はだが……やはりミーティングやカウンセリングで自分の情けない部分、醜い部分の話をしまくったのが効いたのだと思う。

そしてマインドフルネス瞑想で感情の動きを観察し、ワープロソフトや紙に思っていることを書き出す。

とにかく、頭の中で終わらせないで、自分がひた隠しにしたい欠点や感情の動きなどをアウトプットしていくのだ。

頭の中では深刻に思えていた自分の欠点も、実際に喋ってみたり書き出してみるとそんなに大したことではなかった、という事が多い。

最初の数回はかなりキツいが、やればやるほどラクになっていくし、相対的に生きづらさも減っていく。

私自身は、3年前と比べて嫌いな人、苦手な人が格段に減った(苦手な人がいなくなるわけでもないし、ムカつかなくなるわけでもないが、過剰に囚われる事は明らかに減った)。
日常の中で、こういった棚卸しは大いにやる価値はあると思っている。

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