人に期待しすぎる生き方はストレスが溜まる


病んでいた頃の私は、あらゆることに「期待が大きすぎる人間」だった。

家族に期待し、友達に期待し、彼女に期待し、同僚に期待する…。
人間関係以外でいえば、ちょっと頑張って仕事や勉強をすればその結果に期待し、どこかに出向けば楽しくなる事を期待する。

何か自分が労力を割いて動いたからには「望み通りの結果」が当然与えられるべきだと心のどこかで思っていたし、それが叶わない時には激しく落ち込んだ。

とにかく「失敗」というものをとても恐れていたのだ。失敗するという事は、これまでやってきたことは「無駄」なのであり、意味のない時間を費やした、ということだと本気で思っていた。

基本的に受け身、行動しない人間。

そんな感じなので、以前の私は、基本的に受け身で、自分からはほとんど行動しない人間だった。

行動して「失敗」するのがすごく怖かったし、だったら最初から何もしない方が傷つかなくて済む。労力も最小限で済む。

だから、人間関係においても自分から話しかけるというような事はまずしなかったし、自分からどこかに出向くこともなかった。

自分からアクションを起こしておいて、何も反応が返ってこなかったり、拒絶されたりしたら、これほど惨めな事はない。
そう思っていた。

今から思えば、あらゆる事に(特に人間関係において)期待が大き過ぎて、自分から行動を起こす事自体が怖かったんだと思う。
自分からは話しかけないし、行動を起こさないので、いつまで経っても人間関係の場数が増えない。だから、大人になってもずっと人間が怖いままだった。

それでいて「孤独だ」「寂しい」「誰も自分を相手にしてくれない」などと自己憐憫に浸っていたのだから始末におえない( ̄∇ ̄;)

相手も返してくれるべきだと勝手に思いこむ

自助グループに繋がり、先ゆく仲間に教えられたのは、人であれ物であれ状況であれ……「期待しすぎる」という事は事態をややこしくし、トラブルを招き、ストレスが溜まる生き方だという事だ。

結果に期待しすぎるという事は、相手に対する要求も増えるという事である。

特に人間関係においては、「こうなるべき」「こうあるべき」という、自分の思いが強すぎると、相手に対する要求が多くなる(行動分析学で言うマンド)。

つまり、「私がこれだけしてあげたんだから、あなたもこれだけのものを返してくれるべきだよね」と思いこむ事である。この思考でいると、家族だろうが、恋人だろうが、友人関係だろうが、関係がギクシャクしてしまうこと必須である。

なぜならば、相手は私の「こうなるべき」という期待や思いなどと関係なく、自分の人生を生きていて、私のために生きているわけではないからである。

「種を蒔いておく」という考え方

そこで教えられたのは、何事も「種を蒔いておけ」という考え方だった。
種を撒いても、その全てが芽を出すとは限らない。芽を出す種もあるし、出さない種もある。
しかし、多く種を蒔いておけば蒔いておくほど、「どれかが芽を出す確率は多くなる」。

この考え方を教えてもらってからは、色んな物事に対する見方が変わってきた。

例えばコミュニケーション力というのは、いかに面白い話ができる才能があるか、その人に魅力があるか、にかかってると思ってたんだが、よーく観察してみると、コミュ力が高いと周りから評価されている人は「単純に手数が多い」「投げかけている回数が多い」ことに気づかされる。

相手からいい反応が返ってこようがくるまいが、ガンガン声を掛けてるのだ。
つまり、そんなに結果に期待していないわけである。

こちら側は声をかける。でも、向こう側はそれに応じてくれてもいいし、応じてくれなくてもいい。これは、ある程度相手を尊重していないとできない事だと思うのだ。
そういう「ゆるさ」、余裕を持てる事こそが、コミュニケーション能力というものではないかしら?、とも思うのだ。

人を尊重するとはどういう事か?

2017.01.27

失敗を恐れず、自分から投げかけられるという事は、色んな出会いも増え、人と繋がれるチャンスも増えるという事である。

別にこれは人間関係だけじゃなくて、仕事においても私生活においてもそうだと感じる。

なんだか、自己啓発本でよく見るような、「失敗は成功の母」的な考え方で、特に目新しさはないんだが、これは自分がやってみて実感している事だ。

実際、筆者は2年ぐらい前にこれに気付いて、「とりあえず種を蒔いておく」スタンスで生活してみたところ、人間関係の幅も、趣味も、仕事においてもすごく可能性が広がって、格段に生きやすくなったと実感している。

何より、「自分はこんなにしてやったのに、あの人はしてくれなかった」と恨まなくていいのでラクである。

失敗に対する捉え方を変える

良い結果を期待しすぎ、失敗を過度に恐れる生き方は「生きづらさ」ともおおいに関係している。

やってみたいけど思い通りの結果がでなかったらどうしよう?、と心配ばかりし、いつも頭の中でシミュレーションばかりしていると、それだけで疲れ果てる。

特にうつ状態や心が弱っている時というのは、余計に失敗に対する恐怖心がひどくなると実感している。
完璧主義や心配が大きくなりすぎて、身動きがとれなくなる。
最短コースで「当たり」を引き当てるのに執着するあまり、逆にストレスが溜まっていく。

そして、失敗を恐れながら、本当に失敗すると、すごくダメージを受けてしまう。
「ほら、やっぱり失敗した」「なんでもっとちゃんとやれなかったんだ?」と自分を責め、次回からは、より一層自分からアクションを起こす事に対して消極的になる。

落とし穴にはまらないこと前提で生きていると、人生は恐ろしい事だらけになる。
「いい結果」ばかりを求めると、逆に不満を感じる頻度が多くなって生きにくくなってしまうのだ。

だったらもう、何ごとも「スカありき」「失敗ありき」「ダメありき」で考えた方がラクである。

結果に期待しすぎない生き方

色々書いたが、自分なりに「種を蒔いておく」という考え方をまとめてみると、

・望み通りの結果が出なくても気にしない。

・相手が自分の期待通りの反応をしなくても気にしない。

・「とりあえず声をかけてみる」「とりあえず行ってみる」「とりあえずやってみる」を習慣づける。

・「うまくいけば儲けもの」の精神を大事に。

・「失敗」というのは、ただ惨めな事なのではなくて、「この方法はダメだった」と納得できる、とても意味のある事なのだと捉えてみる。

・その時は悪い結果に思えても、後で良い結果に転じる例はいくらでもあると考える。

・何ごとも「待つ」ことを大事にする。

というような感じである。

もちろん、上に挙げたような考え方がいつもできているわけではなくて、今でもしょっちゅう「期待しすぎる」悪癖は出てくるし、心配しすぎたり、失敗を恐れてやらないことも多い。

ただ、昔と比べれば、1割でも2割でも、「種を蒔いておくスタンス」が実行できているならば、それでいいかなとも思えるのだ。

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