自分の感情を抑えすぎると誰とも親密になれない

 

今日、仕事をしていると、同僚が「最近、うつ気味で全然意欲が湧かないんですよねぇ…」みたいな話を振ってきたので、私もそういった経験は大いにあることだし、自分の体験を交えて分かち合いをしていた。

そこでふと気付く。

私はいつから自分のネガティブな感情、辛かった事や苦しかった事をツラツラと人前で平気に喋れるようになっていたのかと。

以前の私は、「辛い」とか「苦しい」とか、そういった負(マイナス)の感情については絶対人に知られてはいけないと思ってたし(特に職場とかオフィシャルな場では)、愚痴や陰口もまったくといっていいほど言わなかった。言わないように自分を厳しく戒めていたのだ。

そういった感情自体を持つ事を「悪い事」だと思っていたし、愚痴や陰口、弱音をこぼしている同僚を見下しているところさえあった。

1.「いい人」を演じすぎて友達ができない

ネガティブな感情を表に出さないこと。愚痴や弱音、文句を言わない事。

自分では、それを「感情をコントロールできている」と思っていたのだが、なんのことはない、今から見れば自分のネガティブな感情に向き合うだけの勇気がなかっただけのことだ。

自分の感情をほとんど表に出さずに「いい人」を演じているつもりだったのだが、周囲からは「何を考えているか分からない奴」と映ったのだろう。学校や職場では、浮いたりする事はないが、かといって打ち解けている感じにはほど遠く、いつも孤立していた。

自分では本当に不思議に思っていた。

「こんなにみんなに気を遣って『いい人』をやっているのに、なんで誰とも打ち解ける事ができないんだろう?」

「自分に魅力がないからだろうか?コミュニケーション能力がないからだろうか?仕事や勉強ができないからだろうか?」

「みんなに『すごい奴だ』と思われないと、みんな自分を受け入れてくれないんだ」

「何かを持ってないと、他人は僕を受け入れてくれないんだ」

そんな風に考えていた。

だから、仕事や勉強を頑張ってみたり、特技の絵を描く事やパソコンのスキルで人から認められようとしてみたり、モテそうなファッションや髪型を研究してみたりした。会話術や心理学の本を読み漁ってみたり、流行をチェックするのに必死になった事もある。

そして、それらの全ては徒労に終わった。自分ではどんなに頑張って「いい格好」を演じてみても、いっこうにみんなと親しくなれない。

2.ACの特徴 「自分の感情を感じることや表現する事ができない」

孤立したまま数年の時が過ぎ、「他人は自分を受け入れてくれないけど、薬は自分を助けてくれる」という思いですがっていた処方薬(睡眠薬・抗不安薬)にも最終的に裏切られ、いよいよ生きる事がどうにもならなくなった時に、アダルトチルドレン(※)の自助グループであるACA(アダルト・チルドレン・アノニマス)に繋がる事になる。
(※アダルトチルドレン= 子供の時期をアルコホリズムやその他の機能不全のある家庭で過ごした成人(=アダルト・チャイルド)のこと)

アダルトチルドレン~生きづらさを抱えたまま大人になった人たち~

2017.01.06

アダルトチルドレンについて知りたい方は、提唱者であるクラウディア・ブラックの書籍や、精神科医の斎藤学氏の書籍が分かり易くてオススメだ。

そこで配布されているハンドブックや書籍には、アダルトチルドレンの特徴が簡潔に分かりやすく書いてあるのだが、特に私の目をひいたのが、
「わたしたちは悪夢のようだった子ども時代から感情を抑え込んできて、そうするとひどく傷つくので、自分の感情を感じることや表現することが出来なくなっていた 」
という記述だった。

その時、やっと自分がなんであんなに生きづらくて、なんであんなに他人とうち解ける事ができないのか、一気に謎が氷解したような気がした。

「これだ!これだったんだ!」と叫びだしたい気分だった。

3.感情を吐き出す訓練をする

自助グループに繋がって、私にとって何が革命的だったかというと、みんな「ありのままの自分の話をしている」という点に尽きた。

今まで生きていて、辛かった事、苦しかった事、悲しかった事、情けなかった事、寂しかった事……みんな自分を飾らず、素の、ありのままの自分の話をしていた。誰も「前を向いて生きていこう」とか「マイナスな事ばかり言ってもはじまらない」とか「相手を許さなきゃダメだよ」などといった中身がスッカスカのポジティブシンキングを強要したり説教したりしないのがまた救いだった。

自助グループでは「言いっぱなしの聞きっぱなし」が原則であり、何より最優先される。他人が何を言おうと、自分が何を言おうと、その場にいる人を傷つけない限り受け入れられる空気がある。

ここで私は、生まれて初めて「自分の感情をありのままに表現する事は、悪い事でも何でもなくて、むしろ生きるために必要な事なんだ」ということを学んだ。

今まで、私は人とうち解ける事ができない原因を、能力や地位、容姿やコミュニケーション能力に問題があるからだ、と思いこんでいたが、なんのことはない、「自分の感情を隠して人と接していた」から人と親密になれなかったのだ。もっと言えば、他人からはネガティブな感情なんか持っていないように見られたくて、いつも自分から壁を作って、弱みを見せないように見せないように人と接していた。そういった防衛的な、人を信じていない雰囲気は、自分では隠しおおせているつもりでも必ず相手に伝わる。

つまり、私には「ネガティブな感情を持っている自分を見透かされたら、誰も自分を相手にしてくれない、見捨てられるに決まっている」という思いこみが幼少期からずっとあったのだ。そういった思考パターンは、幼少期の親との関係や、いじめの体験から必要な時期もあったのだが、大人になったからには手放す訓練をしなければならなかった。

怒りを感じたときは「出さない手紙」を書こう!

2017.01.02

4.ありのままの自分でいられるラクさ

現在の私は、怒ってる時には怒ってる自分を、イライラしている時にはイライラしている自分を、寂しい時には寂しい自分を、だいぶありのままに受け入れられるようになってきたと思う。

つまり、ポジティブな自分だけではなく、弱く、情けないネガティブな自分も受け入れることが出来るようになってきたのだ(まだまだ不完全ではあるが)。辛い時には普通に愚痴や文句を言えるようになってきたし、適度にネガティブな事を吐き出すのは、生きる上で必要不可欠だという事も学んだ。自分一人では抱えきれないと思った時には、変にヤセ我慢せずに、人に相談したり助けを求めたりするというという事も学んだ。

そして、自分の感情をちゃんと感じられるようになり、うまく表現できるようになると、それだけ人との関係も楽しく、実りあるものになってきたと思う。やはり、まず自分自身と仲良くなっておかねば、他人と仲良くなどなれっこない、というのはとても実感する事だ。

それは、ひとえに自助グループで、自分の情けなさや醜さ、怒りや寂しさ、恨みや恐れについて話しまくったおかげだと思う。人間とは不思議なもので、自分の辛かった思いを否定も肯定もされずにただ聞いてもらっていると、勝手に自浄作用が働いて、次のステップに進めるようになっているらしい。

未だに自分は些細な事でイラついたり、怒ったりして、我ながら「ちっせぇー人間だなぁ…」と思う事も日常生活で多々あるのだが、そういったネガティブな感情も自分の一部だと認めてあげる事が、健全な自己肯定感に繋がるのだと信じて、日々やらせてもらっている。

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