人生は思い通りにならないクソゲーか?【マインドフルネス講座メモ 前半】

毎月一回、東広島で行われている「マインドフルネス講座」に今回も行ってきました。

この瞑想会では、臨床心理士の先生が仏教理論の講義と、手動瞑想のレクチャーをしてくれます。
マインドフルネスのルーツは仏教なので、仏教の理論を学んでおくと瞑想の実践に役立つというわけです。

前回は「よりよく生きるために【善友】を作ろう。環境を選んで積極的に変えていこう。【縁】を大事にしよう!」というテーマでした。

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今回のテーマは端的に言うと「思い通りにならない人生の苦しみに、仏教ではどう対処しているか?」ということです。

今回はちょっと長くなったので、前後編に分けて説明していきたいと思います。

四聖諦(ししょうたい)とマインドフルネス

引用:Wikipedeia「四諦」より

仏教には「四聖諦(ししょうたい)」という考え方があります。

この考え方は、ブッダ(お釈迦様) が初めて悟りを開いた時、まずはじめにこの真理を説こうとしたぐらいですから、仏教の基礎ともいえる真理です。
マインドフルネスの実践をする上でとても重要なものだといわれています。

ブッダは、「なぜ人はストレスを感じ、苦しむのか?」という問いについて、4つの真理を説いています。

「苦諦(くたい)」………「人生は苦なり」という真理。

「人生は自分の思うようにならないクソゲーだ」という言葉が昔ネット上で流行ったことがありましたが、基本的に仏教も同じ事をいっています( ̄∇ ̄;)。

なぜかというと、この世の中は自分の思い通りにならないことが多すぎるからです。

仏教には「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉がありますが、これは「すべてのものは苦しみである」という教えです。

世の中には「人生は素晴らしい」「生きることは素晴らしい」などという、やたらポジティブな言葉がメディアや書籍、音楽などで使われていたりしますが、個人的には白々しく聞こえるんですよね。

それよりも、仏教の「人生に意味なんてないし、言うほど素晴らしくないし、苦しみの連続だよ」という考え方の方に共感できます。本当のことを言っている、リアルなことを言っているなあ、という気がするからです。

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しかし、仏教の素晴らしいところは、そこで虚無主義に陥ることなく「人生は思い通りにならない事だらけでクソだけど、あえてそれに向き合って、正しい方法で苦しみの原因を探り、取り除いていきましょう」というところだと思うのです。

ブッダは修行の末、悟りを得て、その「苦しむのがデフォルトのクソゲー」から抜け出す方法(解脱=げだつ)を成し遂げた人なのです。
そのブッダと同じ境地に至るために、仏教という教えがあるわけですね。

「集諦(じゅうたい)」…苦しみの原因を明かされた真理。

人生の苦しみというのは、ほとんどが「執着」からきています。つまり、人や物事、状況に「心がとらわれる」ということです。

私たちは「こうしたい!」「こうあらねばならない!」「こうしたくない!」「こうなりたくない!」という衝動的な思いに支配されますが、人生は自分の思い通りにならない事の方が多いため、葛藤に苦しみます。

これを仏教で「渇愛(タンハー)」といいます。

しかし一方で、人間は「ポリシー」とか「価値観」とか、あるいは「将来こうしたい」「こうなりたい」という思いがあるからこそ、何かを生み出すことができるし、情熱を持つことが出来るのも事実です。

問題なのは、執着が強すぎる場合です。そこに心がはまりこむと苦しむのです。

「滅諦(めったい)」……真の幸福を明かされた真理。

私たちは、常に人や物事、状況などに対して「良い」とか「悪い」とかの価値判断を下しています。もちろん自分自身に対してもです。

ですが、「価値判断」というのは疲れるのです。いつも「良い状態」であればいいですが、自分の思い通りにならない、自分の理想とは違う「悪い状態」も必ず人生の中にはある。

「悪い状態」を「良い状態」にしようとして必死になる。思い通りにならなくて苦しむ。
端的に言えば、人生はその繰り返しです。

だから、そもそもの「価値判断じたい」をなくしてしまえば苦しみは生まれませんよね?
マインドフルネスではその状態を目指すわけです。

もしまた価値判断して、人や物事を裁いている自分(ジャッジしている自分)に気づいても、責めずに「OK」と肯定してあげる。
そして、呼吸に意識を向け、裁かない状態に立ち返ればいいのです。

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「道諦(どうたい)」……真の幸福になる道を明かされた真理。

物事を価値判断せず、ありのままに見るといっても、普通の人にはできないわけです。
また、一切の価値判断もこだわりもなく人間は生きていくことは不可能です。

ですから、生き方のガイドライン的なものが必要となります。
それを仏教では「八正道(はっしょうどう)」といいます。

正見
自分中心の見方や偏った見方をせず、物事を正しく見ること。

正思
むさぼる心や怒りの心、我を押し通す心を捨て、すべてを正しく、大きな心で考えること。

正語
うそ、二枚舌、悪口、でまかせな言葉のない正しいものの言い方をすること。

正行
意味なく動植物の生命を絶つ、盗みを働く、道ならぬ男女の過ちのない正しい行ないをすること。

正命
人のため、社会のための正しい仕事で得た収入で、衣食住の生活必需品を正しく求めること。

正精進
「精進」の「精」は「まじり気のないピュアなこと」という意味で、自分がめざす正しい目的や目標に対して、一途に努力しつづけること。

正念(※マインドフルネス)
常に正しい心をもち、正しい方向に心を向けつづけること。

正定(※マインドフルネス)
心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。

引用:「日常生活を正しくする道」 八正道」より

現代で言うマインドフルネスは、仏教の「八正道」 から「正念」と「正定」だけ採用しているわけです。

今回は説明を割愛しますが、この八つの正しい教えに従い日常の中で実践していけば、「苦」を手放し、心穏やかに生きていけると仏教では教えています。

邪悪な目的のためにマインドフルネスを使っても心の平安は得られない

邪悪な目的のために瞑想(マインドフルネス)を用いても意味がないといいます。

例えば泥棒やスリ。
彼らが盗みを働くときは、注意力や集中力は極限まで研ぎ澄まされ、いうなれば「マインドフル」な状態ですが、「気付きの力」を邪悪な事に使っているため、心の平安は得られないわけです。

また、最近では軍隊でもマインドフルネスが導入されています。確かに瞑想によって感情を鎮め、戦況をありのままに判断する力は得ることが出来るかもしれませんが、やはり心の平安は得られないわけです。

マインドフルネスが開発されたことによって、瞑想は私たちの生活により身近なものになりました。

「一日五分からでも瞑想をすれば効果がある!」とメディアでは盛んに言われてますし、実際、私も最初はそんな感じで瞑想をはじめましたし、多くの人がマインドフルネスによって瞑想に触れるきっかけになったのではないかと思います。

もちろん、マインドフルネスは科学的に効果が実証されていますから、数ヶ月も瞑想を実践すれば効果が現れてきます。

その際に、仏教の「四聖諦」や「八正道」の事も念頭に置いていたら、よりストレスが少ない生活に近づくきっかけになるのではないでしょうか。

(後半に続く)

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