よき縁、よき環境、「善友」に触れていこう!マインドフルネス講座メモ

昨日、東広島で行われた「広島マインドフルネス講座」というワークショップに行ってきた。
広島大学で心理学を専攻している砂田安秀先生が主催していて、今、巷で話題のマインドフルネスの講義が受けられるというものだ。

具体的には、

・マインドフルネスの背景にある仏教理論講義
・手動瞑想の実践
・体験シェアリング

といったメニューが受けられる。

マインドフルネスは今、精神疾患やストレスに効果がある技法として世界的に注目されている。
簡単に言うと、従来の仏教瞑想から宗教色を抜いたものだと思っていただければいい。

マインドフルネスを実践し続けることで、脳の構造が変化し、不安や鬱、依存症、発達障害にも効果があることが研究で実証されている。

~マインドフルネス~脳の疲れが取れる最高の休息法

2017年10月27日

私は、現在の時点で2年9ヶ月(約500時間)ほどマインドフルネスを独学で実践してきたのだが、いかんせん一人で孤独にやっているとモチベーションが続かないし、誰もアドバイスしてくれないので「これでいいのかな?やり方合ってるのかな?」と悩むことも多い。

マインドフルネス瞑想がうまくいかない時はどうすればいいか?

2017年2月16日

そういうわけで、去年からこの講座にちょくちょく参加させてもらっているのだが、先生の講義はとても興味深いものだし、同じマインドフルネスに興味を持った人たちと体験も分かち合えるので重宝している。

今日は、講義で学んだことを記録にまとめる意味で、ブログにしたためておこうと思う( ̄∇ ̄)

「苦手な人」に対するマインドフルネス的関わり方

誰にでも「苦手な人」というのがいると思う。
しかし、万人にとって「苦手な人」というのはいないわけである。その人のことを好きな人もいるわけだから。

つまり、「あの人のことが苦手だなー」というのは、私たちの「捉え方の癖」なのである。

苦手な人に会うと、嫌悪感が頭の中に広がり、呼吸は浅くなり、筋肉は緊張する。
これは私達の「捉え方の癖」によって脳が勝手に「反応」しているだけなのだ。

私たちは、何か対人関係で不快なことや思い通りにいかないことがあったら、相手を変えようとしがちだ。

しかし、他人は基本的に変えられるものではないし、職場などでどうしても毎日「苦手な人」会わなければならないシチュエーションも往々にしてある。
そうなると、自分の「捉え方の癖」を変えるしかない。

苦手な人に対して反応しないようにするには、「心の器(受け止める力)」を大きくしなければならない。

例えば、あなたが悩んだり困ったりして誰かに相談しようと思った時、話を聞くのがうまい人をイメージしてもらえればいい。
そういう人は、「それは違うよ」とか「それはいいね」とかこちらの話している内容についていちいちジャッジせず(反応せず)に、ただ「うんうん」と聞いてくれることが多いのではないだろうか?

つまり、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」という固定観念が弱いので、「受け止める力」があるのである。
そういう人は、自然と「苦手な人」も少ない傾向にある。

しかし、タイの日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師によると、修行も積んでない人がいきなり「心の器(受け止める力)」 を大きくするのはしんどいので、まずは「善き縁に触れる(善友) 」ことが大事だと言っている。

つまり、自分をジャッジせずに受け止めてくれる人(心の器が大きい人)と繋がる。元気をくれる人を探す。自分の心の栄養になるようなグループに所属する。
善友はなにも人間関係のことだけではない。気持ちのいい環境や場所に出向く事も「縁」だし、普段触れるメディアや書物も「縁」だろう。

これは逆のことも言えるわけで、「悪い縁」や「悪い環境」に身を置いたままでいると、どんどん苦しみが増え、人間的にも荒んでいく。

自分だけの意志の力で「苦手な人」に対する嫌悪感をコントロールできるものではないので、まず自分の周りの環境条件を整え、自分に良い影響を与えてくれる人間関係を持つようにし、心のザワついた波を鎮めることが先決なのだ。

善き人と交わり、善き環境を選ぶ。
能動的によい縁に触れるようにしましょう、ということ。

①善き縁に触れる(善友)

ブッダが「善友」の大切さについて説いているひとコマがある。

(ブッダが、コーサラ国王パセーナディに語る場面、その1)

大王さま。…修行僧アーナンダが、わたしのいるところに近づいて来ました。…アーナンダは、私に次のように申しました。–『尊いお方さま!善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近い』と。
このように言われたので、わたしは修行僧アーナンダに、次のように言いました。–
『アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。…』

(サンユッタ・ニカーヤ 第八節 努め励むこと(二) 引用元:ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)中村元 訳)

「善友があるということは修行の50%くらいにはあたりますよね?」と弟子がたずねたら、「ちがいますよ、100%ですよ」とブッダは答えたという。

そのぐらい善友がある、人間関係を選ぶ、ということは大きいのだ。

②善き縁となす(智慧)

すると次の段階「善き縁となす(智慧)」に進める。

「苦手な人」というのは、なんで苦手なのだろう?

たいていは自分にとって傷つくような事を言ってきたり、やってきたりする人である。
しかし、他人に対して負の感情をぶつけてくるような人は、ほとんどの場合、その人自身も苦しみを抱えている。

先程の「善き縁に触れる(善友) 」を経て、心を整え、マインドフルネスを実践し続けていると、「相手も苦しんでいるから、人の嫌がることを言ったりやったりせざるを得ないんだな」という事が洞察できるようになってくる。

そうすると、自然と「苦手な人」に対する対応方法も変わってくる。つまり、「捉え方」が変わってくるのだ。
今まではただ「嫌だなー」という嫌悪するだけだった関係が、そうした「縁」を学びの機会として、生かして「智慧」にしていくということ。
これが「善き縁となす(智慧)」ということだ。

③善き縁となる(慈悲)

そして、そのマインドフルネスと洞察と繰り返すことにより、、今まで嫌悪していた相手との関係性も変わってくる。
これが「善き縁となる(慈悲)」ということである。

「あなたも苦しかったんだね」と、相手も苦しんでいる背景事情があることに慈悲の目を向けることができるようになり、相手に対する対応も変わってきて、「善き縁となる」。

そして、自分が得た「智慧」は、みんなとシェアする。
自分が「よき縁」となって、他の人も幸せにする。ともに幸せになっていくということである。

オープンエンドとオープンハート

マインドフルネスを実践する上で「オープンハート(開かれた心)」と「オープンエンド(結果に執着しない)」という態度はとても重要だ。

私が特に共感したのが「オープンエンド(結果に執着しない)」という姿勢だ。

人間は結果を自分の思い通りにしようと執着すると(コントロール) 、どんどん意識が閉じて硬直してきて、物事のありのままを見れなくなる。

物事や人間関係のありのままが見れなくなるということは、その場その時で適切な判断ができなくなる、ということである。
「これはこうなるはずなんだ!」「こうあるべきなんだ!」「あなたはこうあるべきなんだ!」という思い込みによって、改善するべき部分を放置したり、チャンスを逃してしたりすることが往々にしてある。
それが「苦しみ」に繋がる。

瞑想の実践も同じである。
「集中できたら良い瞑想」というわけはないし、「心が平静に保てていたら良い瞑想」というわけではない。

例え瞑想中に気分が最悪で、全然集中できず、「クソが!」と思っていたとしても、「それでOK」と自分に言ってあげる。肯定してあげる。

この、いかなる事が起きても、現状の自分に対して「それでOK」と肯定してあげる姿勢は、マインドフルネスをやる上、生きる上でとても重要な事である。

「自分は今そういう状態にある」と気づき続けてあげることこそがマインドフルネスなのである。

仏教には「精進」という言葉がある。

これは「善い行いを地道に淡々とやっていこう」という姿勢である。

気分がどうであれ、出来がどうであれ、結果がどうであれ、毎日するべきことを淡々とやっていく。
それが己を高めることに繋がっていくのだ。

瞑想会のまとめ

講師の砂田先生は、タイ上座部仏教のプラユキ・ナラテボー師にも教えを受けていて、その流れを汲んだ講義をされていたので、非常に説得力があって面白い三時間だった。

会費も安いし、マインドフルネスを実践している人にとっては良いシェアリングの場だと思うので、これからもちょくちょく通っていこうと思う。

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