「寂しい」からこそ人は依存症になる

最近、会社を辞めて、家で仕事することが多いのだけれど、人と会う頻度が一気に減って戸惑っている。

ベンゾジアゼピン依存症から回復する上で、色んなグループに出たりして、会社以外の人間関係もできるだけ作るようにはしていたが、やはり会社は毎日行くところなので「人間関係のチャンネル」としてはかなり大きなウェイトを占めていたのだな、と思い知らされる。

HSPで社会不安障害(SAD)もある自分だが、過剰に空気を読んだり、合わせなければいけない強迫観念がしんどいだけで、別に人嫌いというわけではないし、人との繋がりそのものにウンザリしているわけでもない。
一人遊びは得意な方だが、むしろ寂しがり屋な方だ。

【HSP】敏感、繊細すぎて生きるのが辛い人へ

2018年3月15日

「そんなに緊張するなよ」と言われると余計に緊張する件について

2018年3月14日

他人と一緒に居過ぎてもおかしくなるが、孤独すぎてもおかしくなるという、人から見れば「お前、どっちやねん!?」と言われそうな非常に面倒くさい性質を持っているのが私だ( ̄_ ̄ i)。

自分でも面倒臭いなー、と思うのだが、こればかりは性質で変えようがないので、付き合っていくしかない。

自分で人間関係のチャンネルをいくつ持っておくか、どれぐらいの頻度や濃度で人と会うのか、それをちゃんと調整していかないとけいないだろう。
なぜなら、「寂しさ」と依存症は密接な繋がりがあるからだ。

Addiction(アディクション:嗜癖)の反対語はConnection(コネクション:繋がり)である

寂しさは依存症にとって天敵だ。
ジャーナリストのジョハン・ハリ氏が、 「Addiction(アディクション:嗜癖)の反対語はSober(ソーバー:しらふ)ではありません。Connection(コネクション:繋がり)なんですよ」と言っていたのを思い出す。

嗜癖(アディクション):わかりやすい言葉で表すと“のめりこむ”“はまる”ということ。もともとは習慣的であった行動が、自分の意志でコントロールできなくなる、ブレーキが利かなくなるという状態を指す。「有害な習慣」のこと。

寂しいから酒を飲む。
寂しいから薬物(処方薬)を使う。
寂しいからギャンブルをする。
寂しいから食べ吐きを繰り返す。
寂しいから過剰に人をコントロールしたり世話ばかり焼く。
寂しいからゲームばかりしている。
寂しいからスマホばかりいじってる。
寂しいから借金をしてでも買い物をする。
寂しいから万引きをする…。

嗜癖(アディクション)の根元には、みな「寂しさ」が関わっているのだ。

仲間のいるネズミは薬物を摂らない

依存症と「寂しさ」が関係している事を証明する、面白い実験がある。

ネズミをケージに入れ、2つの水のボトルを設置する。1つはただの水、もう1つは麻薬のヘロインかコカインを混ぜたものだ。

これをした場合、ほとんどの場合ネズミは薬物を含んだ水を好み、早くに死んでしまう。

しかし、ネズミにしてみれば空っぽのケージに入れられて、薬物を使う以外他にやることがないわけである。他にも選択肢があったらどうなるだろう?

そこで次の実験では、「ネズミの公園」と名づけたケージを作った。

このケージは、ネズミにとっては天国みたいなものだ。たくさんのチーズや、色の付いたボール、たくさんのトンネルなどが中に入っている。

それに加えて、たくさんの仲間が一緒に入れられた。つまりたくさん交尾をすることができる。

そして普通の水と薬物の混ざった水の両方を設置してみた。

するとどうなったか?

ネズミの公園では、ネズミは薬物入りの水を好まなかった。全くと言っていいほど、ほとんど飲まなかったのである。

1匹も止むに止まれず使おうとしたネズミはいなかった。

孤立していた時の摂取量はほぼ100パーセントから、幸せで他の仲間とつながりあえる環境では0パーセントになったのだ。
もちろんネズミと人間はかなり違う。が、この実験はいくつもの示唆を私たちに与えてくれる。

依存症者は「人」と繋がれないから「物」に繋がる

「人を信じられない病—信頼障害としてのアディクション」の著者である、著者の小林 桜児氏は、「依存症者(アディクト)は人に依存できないから、物に依存する」と言っている。

人間は何かに繋がっていたい生き物だ。
幼少期の家庭環境やトラウマなどによって、「他人」と上手く繋がる術を学べなかった人は、「物」に繋がるしかない。 それがアルコールや薬物、ギャンブル(金)、スマホなどに依存してしまう理由だ。


人を信じられないからこそ依存症になるという病理

2016年8月26日

自分は寂しいと気づくこと

もし寂しかったら、インスタントな方法でごまかさずに「自分は寂しいんだ」と認識してあげることが大事だ。

そこを変にごまかして、自分の寂しさから目を背けたとき、人は嗜癖(アディクション)が必要となる。

寂しさを感じるのは恥ずかしいことではない。人間はいくつになっても寂しさと無縁ではいられないし、ちょっとぐらい寂しいぐらいがむしろ健全なことだからだ。

だから、寂しいときには、もっと寂しさを感じてあげることが必要だ。それが今、まぎれもなく自分自身が感じている感情なのだから。

寂しさに気づいたら、あとはそれをどう解決するか行動に移すだけだ。

しかし、寂しさを満たしてくれる対象が、限られた特定の誰かだと、「期待」が大きくなりすぎて大抵ロクなことにならない。
大きすぎる「期待」はコントロールや支配、過度な承認欲求に繋がるからだ。 いろんな関係のチャンネル、いろんなコーピングを持っておくと「期待度」が分散されて程よくなる。

人に期待しすぎる生き方はストレスが溜まる

2017年1月15日

また、「寂しさ」などの感情に対面するにはマインドフルネスが効果的だとされている。

~マインドフルネス~脳の疲れが取れる最高の休息法

2017年10月27日

……まあ、色々偉そうなことを書いたが、これを書いている自分もしょっちゅう「寂しさ」の取り扱いには苦労しているので、なんとかうまく付き合っていきたいものだ( ̄∇ ̄;)

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