俺の彼女は愛着障害③

前回の続きです。

ヘラ子は、極度の寂しがり屋な上に、ADHD/ASDの特性のせいか「見通し」がたたないととても不安になる、というところがあります。
例えば、普段の会話の中で「ちょっと待って」とか、「あと少ししたら」とか、「適当な時間に行くよ」といった言い方をすると、「え、それは何時何分のことなの?ハッキリしてくれないと分からない」とよく言われます。

彼女にしてみれば、
『ちょっと』というのは何分ぐらいのことなのか?」
『適当な時間』というのは何時何分ぐらいのことなのか?」
という、明確な「見通し」が欲しいらしく、それがないと「いつまで待てば良いのか?」「いつになったら戻ってくるのか?」ということが分からなくてストレスなのだそうです。

最初はこのことを聞かされたとき、ちょっと理解に苦しみました。

例えば私は「ちょっと待って」といったら、前後の文脈や状況から推測するのは簡単だと思ったんです。
でも彼女は昔から「文脈を読む」というのが苦手で、「言葉そのもの」を真に受けてしまい、冗談も分からず苦労してきたようです。

「自分は特に苦も無くできることでも、相手にとってはとても苦手なことである」というのは、対人関係の中ではよくあることです(逆もありえますし)。
やり方や感じ方が違うだけなのに、自分の価値観や「自分の常識」を、相手に押しつけたくなる時もあります。

そういうときは、なるべく「努力でなんとかしろ」「こんなの常識だろ」と正論を振りかざして相手を変えようとするよりも、なんらかのツールを使ったり、お互い楽になれる方法を探します。

相手は変えられませんが、自分のやり方や考え方は変えることができるので…。

特に彼女はADHD/ASD、私はHSPとASDという特性持ちなので、「得意なことと苦手なこと」がすごくハッキリ分かれているんですよね( ̄∇ ̄;)。
で、その「苦手な分野」のことは、努力じゃどうにもならない事も多い(特性ですから…)。

「苦手なことを克服するため頑張る」ことも時には必要ですが、発達障害などの特性がある以上、「苦手なものはしょうがないよねー」という感じで、いかに生活の中から負担を減らして、工夫してラクにやっていくか、という考え方も大事だと思うのです。

後で彼女が言っていましたが、
「オラ太郎にしてみれば、手間のかかる方法をやってくれて、受け入れられたという安心感があった」
とのことです。

つまり、彼女自身も「文脈が分からない」という特性にコンプレックスがあって、それゆえに自己肯定感が低かったのだそうです。

特性のせいで自分でも面倒をかけているのは分かっているのだけれど、一緒に解決法を考えて実践してくれたことによって「私のことがいらないんだ」という愛着障害の信念(スキーマ)が少し和らいだと話していました。

発達障害やHSPを抱える人たちは、親や周囲に怒られ続けたことによって自尊心が低く、愛着の問題も抱えやすい傾向にあります。

価値観が合わないものは「理解できない」と切り捨てるのではなく、解決法を共に考えたり、すり合わせをするプロセス自体に癒やされるものもあるのかもしれないと思った出来事でした。

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